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草津線電車と関西鉄道時代の遺構である国分橋梁(水口町高山)
草津線電車と関西鉄道時代の遺構である国分橋梁(水口町高山)

平成22(2010)年は草津線が開通してちょうど120周年になります。草津(草津市)と柘植(三重県伊賀市)を結び甲賀市を横断する草津線は、関西鉄道株式会社という民間の鉄道会社が敷設した路線です。関西鉄道会社の名を知る人は今ではほとんどいませんが、現在の関西本線を中心に名古屋~大阪間をつなぐ鉄路を、つぎつぎと敷設・買収し、近畿圏最大の経営規模をもつ大私鉄でした。

官設の東海道鉄道の路線からはずれた旧東海道筋の人々にとっては、関西鉄道への期待はきわめて大きなものでした。なかでも草津線を含む四日市~草津間は同社が最初に建設した路線で、このうち明治22(1889)年12月15日に草津~三雲間がまず開通し、翌明治23年2月19日には残る三雲~四日市間が全通しました。したがって草津線の全線開業は明治23年2月19日となりますが、現在の甲賀市内をはじめて乗客を乗せた列車が走ったのは、草津~三雲間の開通記念式典の日、つまり前年の12月15日のことでした。

関西鉄道の社紋
関西鉄道の社紋

「日出新聞」(現・京都新聞)の同年12月17日号によると、祝賀会に招待された名士たち120名余りは、美麗な布や国旗を飾った「トロック」気車に乗り込み、三重県との境となる余野へと向かいます。しかし軌道地盤がなお固まりきらないためスピードが上げられないうえに、屋根のない車両であったため強風で帽子を吹き飛ばされたり、あまりの寒さに尿意を催すものが続出、さらには途中で列車妨害者があらわれるなどの騒ぎもあったようですが、沿線住民は初めて見る蒸気機関車に胸躍らせ、沿道や各停車場にはさまざまに装飾がなされ、お祭り騒ぎであったことが描かれています。

明治39(1906)年公布の「鉄道国有法」により、翌40年に関西鉄道は買収されて国有となります。草津線はその後国鉄を経て現在はJR西日本が運営していますが、数少ない関西鉄道時代の遺構として注目されるのがレンガ造りのアーチ橋で、御庄野橋梁(水口町虫生野)・新道橋梁(同町高山)・国分橋梁(同)が知られています。なかでも規模の大きい国分橋梁は意匠もこっており、なによりも上部に関西鉄道株式会社の社紋であった「関」のマークをいれていることで鉄道ファンに知られています。甲賀路に近代化をもたらした遺産として、この鉄路の重要性とともに見直してみたいものです。

レンガ造りの橋梁の詳細については、『甲賀市史』第6巻をごらんください。

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