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土山家本陣の建物
土山家本陣の建物

甲賀市には江戸時代東海道の宿に指定された土山と水口の二宿がありました。鈴鹿峠に近い土山宿には二軒の本陣が置かれましたが、このうち北土山側の本陣であった土山家には、江戸時代前期から明治初年にかけての分厚い「宿帳」が多数伝えられます。

宿帳とは、大名や公家など本陣を利用した人々の休泊の様子を記録したもので、編さん室の調査によると16冊に16,370,件にのぼる記事が記録されていることが明らかになっています。

その内訳は約80%が諸大名や幕府役人などの武家、16%が公家・宮家・門跡・寺社関係となっており、この中には土山家と特別な関係にあった肥後熊本藩の細川家をはじめ薩摩の島津家、長州の毛利家などの西国大名の名が見えますが、ほかにも篤姫の輿入れや、徳川家茂の上洛、朝鮮通信使、オランダ商館長、琉球使節などの通行の記事も見られます。

本陣宿帳
本陣宿帳

本陣での休泊に際しては、本陣家から特産品や季節の物が献上され、休泊者からはそれに対する返礼として金品が下賜されたので、そういった情報も、もてなしの様子や献立などに加えてたいへん詳しく記録されています。つまり宿帳は単なる宿泊記録にとどまらず、近世の大名や公家が、宿の本陣とどのような関係を取り結んでいたかを知ることができるものである、ということができます。

本陣宿帳は、東海道に限っても比較的多く伝来していますが、土山家のものは近世前期から明治初年までほとんど欠けることなく揃っていて珍しく、土山宿だけでなく全国的にも貴重な歴史資料であるといえます。

この本陣宿帳については、その概要と休泊データが、市史編纂叢書第5集として刊行されています。

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