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飛鳥時代の埋もれ木
飛鳥時代の埋もれ木

平成17(2005)年6月、甲南町新治の新名神高速道路工事現場で加工痕のある巨大な杉の埋もれ木が多数発見されました。そのなかには、復元すれば直径約1m40cmになる巨木もあり、根元には鉄斧による伐採痕が鮮やかに残っており、他にも製材途中の原材などが含まれていることから、この付近で伐採・製材作業が行なわれていたことが分かりました。

土の中から掘り起こされた巨木は、単なる自然木ではなく丸太から板材や角材を割り取る製材の過程を知ることができる全国的にも貴重な資料だったのです。さらに、驚くべきことにはこれらの木材は、年輪年代測定によって飛鳥時代(630~690年頃)に伐採されていたことが判明したのです。

埋もれ木が発見された甲南町北部から水口町南西部にかけての地域は、古代から中世にかけて杣がおかれたことで知られ、現在でもこの地を貫通する河川を杣川と呼びます。

新名神の工事現場から出土した様子
新名神の工事現場から出土した様子

「杣」とは宮殿や寺院の造営や、それを維持する建築材を得るために畿内近国に設けられた山林のことで、古代の甲賀郡には、東大寺が経営する「甲賀杣」・「信楽杣」や、西大寺の「甲可郡杣」・「甲可郡縁道杣」などの杣が集中して設けられていました。

なかでも『正倉院文書』には、「甲賀杣」に関する記載が多くみられ、東大寺の造営や石山寺の増改築用材を矢川津や三雲津で筏に組み、野洲川の水運を利用して運ばれていったことが知られており、矢川津は矢川神社が所在する甲南町森尻付近とする説が有力です。埋もれ木は、その南方3キロメートルの山間部から出てきたもので、『正倉院文書』に記された「甲賀杣」より約100年さかのぼる時代に伐られた巨木だったのです。

古代の森林伐採は激しいもので、森林資源の枯渇を招いたといわれています。甲賀の地にあった多くの巨木も切り尽くされたと考えられますが、やがて大工・木挽など山林資源を生業とする職人たちがこの地に根づき、以後、甲賀の暮らし支える柱のひとつとなっていきました。

詳しくは『甲賀市史』第1巻をごらんください。

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