「間林精要(清陽)」とは
甲賀・伊賀49流の忍術をまとめたという忍術書「万川集海」は甲賀市の指定文化財で、日本遺産「忍びの里伊賀甲賀~リアル忍者を求めて~」の構成文化財にもなっている忍術書です。この「万川集海」の冒頭「凡例」には「この万川集海は、初めから終わりまで「間林精要」の要点をまとめて用いて、伊賀・甲賀11人の忍者が秘匿していた忍術や忍器のうち、時代に合わないものを捨て、合うものを選んでまとめたもの」と記載されています。
つまり、この「間林精要」は、「万川集海」のもととなった忍術書であるといえます。今回、その現物と考えられる「軍法間林清陽巻中」が発見されました。
発見された「間林清陽」の概要
「間林清陽」には「延享五辰ノ年」(延享5年・1748年)の記載があります。「万川集海」の成立が延宝4年(1676年)であることから、それよりも約70年後の写本ということになります。本来、「間林清陽」が「万川集海」のもととなった忍術書であるとするならば、「間林清陽」の成立は1676年以前と考えられるため、今回発見されたこの「間林清陽」は後世に書き写された写本であると考えられます。
「間林清陽」の表紙には「軍法間林清陽巻中」と書かれており、上巻と下巻が存在することが推定されます。
「間林清陽」の中には、48箇条の忍術が記載されており、「万川集海」と類似する内容も散見されます。記載されている主だった忍術の例は次の通りです。(内容は意訳したものです)
一、万見立習之事
第一にその国の風俗や大将、侍達の気質を知ること。その国の道筋、方角、地形などあらゆることについて知っておくこと。
一、人数不散習之事
複数名で忍び入るときは、手を取りあうか、または帯に糸をつけるか、または時々合言葉を使う。入る時と出る時は特に合図が第一である。
一、大勢ニ被取籠時ノ習
もし敵に見つかって、知略も敵わずに討たれるときは、二人でも三人でも1つに固まって、太刀の先を並べて、敵の右へ右へと切りかかり、敵を一丸となって討つとよい。
一、杖拵様之事
杖は半分より下を鉄にする。但し二筋にして、その継ぎ目を鉄にて要にして、通常時は畳んでおいて杖に用いる。また、使用する時は広げれば扇の形になる。これも盾になる。
一、菱并横村之事
菱は古い竹を細く割って、三角でも四角でも結び、どのように投げても一角は上になるように菱を結ぶ。敵が追って出てくる道に撒き捨てておけば、敵はこれを踏み立てる。「横村」は、敵が来る道に、材木でも茨でも石などを切り捨て置くとよい。これはみな知略である。
発見された「間林清陽」の存在から言えること
「万川集海」に引用されることから「間林清陽(精要)」という書物があることはすでに周知の事実でした。しかし、若干名の忍術伝書の収集家の方などが個人として所蔵されているとされながらも、その存在や全容は明らかにされてきませんでした。そのため、この「間林清陽」の内容は世間的にほぼ知られていません。「万川集海」のもととなった忍術書が確かに存在していたことを、この忍びの里である甲賀市での発見で証明できることは極めて大きいといえます。
情報をお寄せください!
市では、今回の発見により市内に「間林清陽」の上・下巻が眠っているのではないかと考えています。
もし、市民の皆様のお宅や区や自治会で管理されている文書の中に、「もしや!?」と思われる書類がありましたら、ぜひ市にご連絡ください。市が全力で調査を行います。