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うそつきの話

むかし、むかし、野田というところに、うそつきの大すきな男がすんでいました。その男は、みんなにうそをついてはよろこんでいました。「野田の池の水がなくなってしもうてな、池の底にこいがいっぱいいたぞー。」と、村の人にいいふらしました。

村の人は大よろこび。こいをとろうと、われもわれもと野田の池へとんでいきました。ところが、池は水がいっぱいであふれんばかり。こいなどどこにもいなかったのでした。

また、このうそつき男は、ひとりの村人に、「今、おまえさんの家から、ぼうぼうと煙が出とったぞ、火事やないか。」と、おどかしましたが、これもうそだったのです。

ある時、うそつき男が病気になりました。病は悪くなるばかり、明日にも命があぶないというとき、「わしが死んだら、今ねているこの床の下につぼが埋めてあるでのう、掘り出してくれ。」男は、こういい残して死んでしまいました。

お葬式のあと、きっとお金が入っているんだぞとわくわくしながら、家じゅうを掘ってみました。しばらく掘っていくと床の下から、それはそれは大きなつぼが見つかりました。つぼをあけてみると、中から一まいの紙きれが出てきました。その紙きれには、なんと、「これでうそのつきおさめ」と書いてあったそうです。

忍術のはじまり

甲賀流の忍術を一ばん最初にはじめた人は、杉原という人です。杉原は今の馬杉村に住んでいました。ある春の日、近くの高い山の頂きに登りました。杉原は、美しい景色を見ようと山の平へ入っていき道にまよってしまいました。そして、帰り道さえわからなくなりました。

どうしたらいいかわからなくて困っていた時、ひとりの白髪の老人があらわれて、「おまえに授けるものがある。よく読んでよく考えよ。」と言って、忍術の巻物を三巻さし出しました。

そして、「わからないことがあったら、ここへきたら教えてやろう。それから、この術を身につけても、よくの深い者には教えてはいけない。」と、いいのこして、老人は姿を消しました。

杉原は、その後も何回も山に入って、老人に教えてもらいました。
 いよいよ術をみがいて、杉原は二巻の巻物にして残しました。その一つを「軍例の備えの巻」といい、もう一つを「寅の巻」といいます。老人からもらった三巻と合わせて、「忍術奥儀の巻」と言われているのです。


甲賀流忍術屋敷

この建物は甲賀流忍者五十三家中の筆頭格、望月出雲守の住宅として元禄年間に建てられました。一見普通の家ですが、中は外敵に備えて非常に複雑な仕組みになっていて、いろいろな仕掛けがあり、昔の忍者の様子がうかがえる楽しい屋敷です

池が原の大蛇

むかし、甲南の里に、いつもあふれるほどの大きな湖がありました。

この湖に、大蛇がすみつき、ときどき姿をあらわし村人たちを困らせました。村人はいろいろそうだんしましたが、よい考えがうかびません。とうとう、朝廷にたのむことにしました。

朝廷から、繁保という人が村にこられました。繁保は、五、六人のけらいとともに森の中で住んでいました。そのとき、にわかに空がくもり大あらしとなりました。湖は大きな波が立ち、雷が鳴り、そこに大蛇が姿をあらわし、繁保たちにおそいかかりました。

繁保たちは、おどろいて逃げました。すると、繁保の前に小さなやしろが見えました。繁保はすわってひっしにお祈りしました。すると、あらしはやみ、大蛇はもがきながら湖の中に姿をけしていきました。

三週間、いのりつづけた繁保は、いつのまにかねむってしまいました。ゆめのなかで湖のほとりの杉が、急に光りかがやき、天空から多くの矢が雨のようにふりそそいできました。そのとき、湖に大きな波がたち、大蛇が姿をあらわし、苦しみ体をくねらせて大空へとのぼっていきました。

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