水口岡山城跡が国指定史跡になりました
「水口岡山城跡」の歴史的・学術的価値が評価され、将来にわたって保存するべき城跡として認められました。これによって、平成29年2月9日付けで国史跡に指定されました。
国史跡とは?
国史跡とは、集落跡・古墳・城などの遺跡の中で特に歴史的および学術的に価値が高いと国が認めたものを言います。仏像や建造物の場合は重要文化財と呼ばれますので、遺跡版の重要文化財と言えます。国史跡に指定された遺跡は、次世代にその価値を伝えるために文化財保護法にもとづいて保存することが必要となり、現状を変更するためには国の許可が必要になります。
豊臣政権の拠点城郭「水口岡山城」
水口岡山城は、天正十三年(一五八五年)、豊臣秀吉の命によって築城され、東海道を眼下に見据える立地から、秀吉の天下統一における東国制覇の足掛かりの城と位置づけられました。その後、「五奉行」に名を連ねる増田長盛・長束正家が城主となり、豊臣政権下の拠点城郭として機能します。しかし、関ヶ原の戦いの後、徳川幕府によって廃城とされ、江戸時代には水口藩の御用林となりました。
現在は通称「城山(しろやま)」と呼ばれ、市民に親しまれており、山中に残る石垣などの遺構から当時の面影が偲ばれます。
城跡の詳細についてはこちらへ → 豊臣秀吉の命により築城 水口岡山城跡
市内で四つ目の国史跡へ
現在の水口地域の基盤は、水口岡山城の築城によって整備され、その後、江戸時代の水口宿として栄え、現在に至ります。まさに、水口岡山城跡は地域のシンボルです。 そのような城跡が紫香楽宮跡(しがらきのみやあと)・垂水斎王頓宮(たるみさいおうとんぐう)・甲賀郡中惣遺跡群(こうかぐんちゅうそういせきぐん)に次いで、四つ目の国史跡に指定されます。豊臣政権を支えた拠点としての歴史的背景に加え、石垣や堀切などの城の遺構が良好に残ることが高く評価されました。
国史跡の指定範囲はこちらへ → 史跡指定範囲図
広報あいこうかの記事はこちらへ → 平成28年12月1号